教会の信条と立ち位置

イエスの栄光教会の信条とミッション

当教会は、単立・独立のプロテスタント教会です。
エホバの証人・統一教会・モルモン教会とは異なります。
またカトリック教会・正教会でもありません。

いわゆる改革派教会・長老派教会の流れです。教義・神学・政治は基本的に変わりませんが、何より聖書によって絶えず改革される教会を目指します。
初代教会・古代教会を目指しますが形式的にではなくその本質である神の臨在・イエスのインマヌエル・聖霊の働きによって教会形成を目指します。
信条は使徒信条。ニカイヤ・カルケドン信条に立ち、ハイデルベルク信仰問答を参考としています。

政治は長老政治を目指しますが、従来の教会のように、教学試験と宣教の実によって選びます。牧師は無学な者低学歴な者も一般から神学まで教育し宣教者とします。そのため教育にも力を入れます。教職者は宣教の経験者で実を実らせたものとなります。
欧米的なキリスト教を、一旦、聖書によって濾過していく事を目指しています。

〜特色〜
1) 躓きの宣教。神の偉大な御業である十字架・復活・奇跡をメッセージする。ヒューマニズム的人間中心的聖書解釈はしない。人集めのみの伝道はしない。
2) イエスの栄光。嘲られても嘲り返さない。罵られての罵り返さない。罪と死にイエスは勝利。神の栄誉を求める。
3) 神の選びは少数者・弱い者に現れる宣教の愚かさにある。(コリント第一)
4) 信仰によって弱い者を強くされる(へブル11章)
5) 神の御臨在。神が共におられる。インマヌエル(主はともにいます)が旧新約を通して一貫した神学であり、今も苦しむものと共に苦しまれることを宣教する。
6) 二律背反(中庸は取らない)浸礼と滴礼・神の主権と人間の信仰。神の正しい知識と敬虔など。
7) 万物の救済・贖い・再生・救いを人間のみのものとしない。ローマ8章
神の似姿と被造物を治める・支配する特権・権限を失ったアダム以後の人類に、イエスの贖いによって神の似姿と被造物の回復をしてくださった。私たちはその神の国のために集められました。
8) 神が歴史と世界を支配。アンチ偶然
9) 信仰を個人主義的なものとしてではなく神の民・神の国として捉える。
10) 欧米的キリスト教をいったん聖書によって濾過する。欧米的キリスト教とは現代芸術の表現に現れる断片的・非人格的・即物的・唯物的・数量数学的・中心線を取らない表現。例えば教会の成長を礼拝出席受洗者数によって見る。
11)見えない神が言葉となって私たちの中に住み、人となり、聖霊によってご自身を現し、イエスの贖いにより神の子たちが互いに愛し合い・許しあうことによって見えない神が見えるようになるという神の隠されたご計画・神の国を宣教。
12)聖餐式 毎週行い、教会員によって執り行われる。
13)教育・訓練の強化。洗礼後の一年更新式教育・訓練。礼拝の教会員は必ず一単元以上の学びを恵みの義務教育とする。これを受けない信徒は生産停止とする。

個人主義的信仰。科学を否定するものではないが、相矛盾する神の御業に立つ。ここに躓きの宣教を宣言する。

クリスチャンの方へ

改革派教会。長老派教会の単立・独立教会と理解していただければOKです。しかし、基本的にカルビニストではありません。また、長老政治はめざしますが長老教会として将来発展していくことはありません。西洋的キリスト教を一旦聖書を通して濾過していく作業を行っています。

プロテスタント教会ですが形にとらわれた形式教会ではなく、絶えず改革される教会として発展していきます。そういう意味で自由・改革・原点を目指します。
聖書は新改訳聖書。参考として新共同訳・フランシスコ会訳使用
讃美歌は新聖歌・こどもさんびか(改訂版)を中心にカトリックからカリスマ派まで幅広く使用。
式文日本基督教団2006年試用版と日本長老教会式文を使用しています。これらをもとに現在当教会の式文にアレンジしています。

将来のビジョン


信仰者のシェアハウスを作ります。いじめ・学業不振の逃れ場でとして。また信仰者のデボーション聖書を読む生活の訓練・定着の場を作ります。
従来から教会の奉仕と社会で働くのとどちらが大切かを言う問いに対して二者択一ではなく受洗前後の2~3年を最も大切な時として生活に密着した信仰生活を送れる援助の場を設けます。
教会は弱者・学力不審者にも手を差しだします。
賜物と才能を混同する傾向がキリスト教会にあることを感じます。
世俗とは人間的な知恵や力の中にあります。そして知らず知らずのうちにそれらを頼みとすることです。